こんにちは、タケヨーです。
Yahooニュースに先日掲載されていたので、閲覧された方もいらっしゃるのではないでしょうか。
勝利至上主義…私も経験してきた身なので、凄く理解出来ます。
勝利至上主義と子育て、そこから投資への繋がりを模索してみました。
自身のケース
私自身も勝利至上主義を経験してきた身です。
私の場合は、高校生の部活動でした。
中学校まではサッカー部へ所属しており、高校生から陸上部の長距離走=駅伝部の門戸を叩きました。
当時、年に1回開催される高校駅伝の県大会では、進学先=12位でした。
過去の成績では全国大会へ1度だけ出たことがあったのですが、以降はやや低迷…
つまり、言ってしまえば古豪扱いでした。
中学生であった私は、「そうは言ってもそこまで厳しくないだろう。先ずはダイエット感覚で入部したいな。」程度に軽く考えていました…
長くなるので、詳細の部内での活動や成績はこの場割愛します。
結果的にどうだったかといえば、実際に入部して3年間過ごしましたが記事と同様で「勝利至上主義」のままでした。
子ども(私は既に高校生でしたが)の成功体験や進路を考えるきっかけの一部として部活動が存在しているのではなく、完全に監督(大人)と学校の宣伝/名誉のためだったな、と3年間終わってみて気付かされました。
私自身は高校3年間で陸上競技としての道を断念、以降は専門学校へ進学、自動車整備士の国家資格を取得しました。
※勝利至上主義に嫌気が刺したのも理由の1つですが、関東大会へ勝ち進んだ結果で自身の実力の無さが「井の中の蛙大海を知らず」であったことに気づいた理由も存在します。大学まで進学してく競技を継続するのは、相当なことだと今でも思っています…
高校3年間で何を学んだか
私自身、高校3年間で何を学んだでしょうか?
勉強?→教科書は常に置き勉でした。
学校生活?→朝練が毎日デフォルトでしたので、基本的に1〜4時間目まで寝ていました。なので、部活の同級生/先輩/後輩以外とはあまり交流が無かったので、部活だけをしに行っていたようなものでした。
結局、人間関係も今になって考えてみれば部活動の仲間以外ではそこまで深く関わることもなく、勉強も皆無のまま部活動へのみ打ち込みました。
部活動で得たものは思い返せば、根性と打たれ強さくらいでしたね。
つまり、何も得ていなかったのです。
逆に勝利至上主義の考えに触れてしまったので、「高校3年間で陸上競技は終わりにしよう」とか、「勝てば官軍みたいな成果主義ってどうなのよ」と考えるようなりました。
社会へ出てみて感じたこと
自動車整備士免許を取得し無事に会社員勤めが始まったのですが、新卒で就職した先でも「勝利至上主義」は蔓延っていました。
常に毎日/毎月/毎年、「目標達成/必達」や「決算月だから頑張れ」といった言葉が飛び交い、社会へ出ても勝利至上主義は相変わらずなんだと感じました。
一体、誰のために仕事をしているのか?喜ばす相手は社内の社長?工場長?常に疑問を抱いていましたし、今でもその感情は少し残っています。
※現職場ではそこまでとやかく言われないので、漸くその感情が和らいできました。
社会へ出てみて感じた勝利至上主義は、結局のところ「弱者への押しつけ=弱いものいじめ」なんだろうなと、個人的には今でも感じています。
スポーツの様な明確な勝ち/負けは無いものの、株主や社長・その他重役から降ってくる目標=本当に必要なだけの儲けではなく、稼いだ者勝ちなのが企業の本当の正体だとも思っています。
そこには極論ですが、雇われの1人や2人潰れても構わないと考えている責任者=経営サイドの方も少なからずいるはずです。
つまり、スポーツの様な明確な勝利至上主義は存在しなくても、それに近いもしくはそれよりも腹黒い理論を振りかざしてくるのが社会であって、私の様な一雇われの人は「自己防衛」せねばならないのだと、社会人を15年経験しての考えへ至りました。
実際に子どもを授かってみて思うこと
我が家に生まれてきた息子は不妊治療の末の顕微鏡受精で、出生時には2,000g少々と未熟児扱いで即NICUへ入院でした。
NICUで入院対応中、特に合併症の併発というのも幸い無かったため、単に小さく生まれてきただけといった扱いで無事退院しました。
現在はようやく成長曲線へギリギリ掛かる程度まで成長し、すくすく大きくはなりつつあります。
息子の妊娠〜出産・ここまでの6ヶ月程度の育児経験で夫婦にて共有している想いは、「普通に育つ確率の方がどう考えても低い境遇だったので、本人の好きな様に育って欲しい」と今は感じています。
私達夫婦は「普通に育って欲しい」とは思っていません。
その「普通」すらも難しいとも思っていますし、今からある程度腹を括っているのも事実です。
ここまで明記した「勝利至上主義」なんてもっての他で、本人の考えるがままに育ってくれればそれだけで今は充分とさえ思っています。
その「普通」って何なのよ?
その「普通」って何なのよ?とふと疑問に思っていたところ、TwitterのTLへ以下のTweetが流れてきました。
中学卒業した1000人のその後…
— 高島屋麗子・バイリンガル教育・塾無し小受🌸・共働きワーママ (@hbmama14) 2022年3月19日
→高校進学970人
→高校卒業896人
→4年生大学現役進学413人
→大学を4年で卒業331人
→正規雇用240人
→正規雇用後、3年間離職なし163人
「普通」と語られがちなルートを辿れるのは、実は中学卒業1000人とすると163人
『現場で使える教育社会学』より(2009年データ使用)
教育社会学上での普通…私達夫婦は専門学校卒が最終学歴なので、途中で定義の「普通」から外れています。
「普通」ってこんなにも難しいのですよ、実は。
一族で唯一の4大卒である実弟も、みずほ銀行を3年以内に新卒から離職していますので、「普通」からは定義上外れます。
最早、「普通」から「エリート」の扱いでしょう、これは。
何かこういった枠組みに嵌めた上での教育は、日本においては仕方ないとも思っています。
年齢や性別で区切りをすることは制度上仕方無いことですが、それでも「勝利至上主義」は本人が望まないのであれば、他にも楽しめる手法はあることを伝えていきたいと今は感じています。
私自身が勝利至上主義しか知らず、嫌いで否定したいのにそれしか知らないことから、今でも若干抜け出せない自分が居ます。
そこは親として、可能な限り軌道修正というか道を少し整えてあげる等はしてみたいです。
投資活動は勝利至上主義ではない
投資活動において勝利至上主義はどうでしょうか。
目的は自身の資産を最大限活用して最終的に殖やすことが投資なので、勝ち/負けではないのが本質だと思います。
デイトレードや機関投資家の場合は勝ち/負けが存在するのでしょうが、私の様な弱小個人投資家であれば勝ち/負けは自己満足の範疇程度でしょう。
逆に勝ち/負け=勝利至上主義に拘ると、投資の場合はかえって損失を招きます。
人間の欲深さを如実に表し、損失という結果をもたらしてくれます。
また、市場の流れや例えばFRB議長の言動1つで、簡単に相場が投資の場合は変動します。
つまりスポーツの様な絶対的な勝ち/負けなんていうものは、いともたやすく覆る世界なのです。
個人投資家であるなら、自身の満足がいく範疇を模索するのがベストで、誰かに勝ち誇るために投資をしてもしょうがないと私は改めて感じました。
まとめると
勝利至上主義は一度くらいなら経験しても良いでしょうが、私自身の子どもへはできれば経験させてあげたくないものです。
(もっとも、本人が望むのであれば話は別ですが…)
加えて、投資については妻は反対していますが私はせめて考え方や仕組みくらいは教えても良いと考えています。
投資の世界は、勝利至上主義が存在するもしないも自分次第ですし、誰かに勝ち誇るための投資はしょうがないと感じています。
勝利至上主義を真っ向から否定するわけでは有りませんが、先ずは楽しむことから覚えていくことで、次第に自然と欲が出てきてからでも充分に遅く無いと思います。
あとは、関係する大人や責任者側を如何に教育していくかが、これからの分水嶺になるとも思っています。